原油の歴史
原油の歴史は複雑ですね。
Wikipediaを見ても原油価格の歴史はあっても原油産業と市場の歴史は見当たらないので整理してみました。
原油価格に対する事件はこの記事ではなくこちらを参考にしてください。
bubble.preppersjapan.com
- 1830 - 1869年:初期の原油産業
- 1870 - 1913年:石油産業誕生
- 1914 ‐ 1930年:戦争そして世界恐慌
- 1939年:第二次世界大戦
- 1950 - 2003年:原油支配権争い
- 2003年 - 現在:シェールオイルによるパワーバランスの変化
1830 - 1869年:初期の原油産業
原油の歴史は1830年代のバクー油田から始まります。
バクー油田はペルシャ湾で油田が発見されるまでの間世界の石油生産量の大半を占めていました。(世界の石油生産の90%以上)
その後幾つかの原油が発見されましたが、その中でも特にペンシルバニアでは大成功を収め、わずか数年で世界の石油の半分近くを生産することとなっています。
原油価格は1861年に1バレル約0.49ドルでしたが1865年には1バレル6.59ドルへ上昇しています。
1870 - 1913年:石油産業誕生
スタンダード・オイル
石油産業の始まりはスタンダード・オイルですね。
1863年にスタンダード・オイルはロックフェラーによりオハイオに設立されました。
同社は競合会社をどんどん買収していきます。
スタンダード・オイルは国内市場だけではなく海外市場にも展開し、1890年にはアメリカの精製油の9割近くを独占しました。
その後アメリカとソ連(現ロシア)の両国で生産が競争的に拡大、需要が増大するにつれ世界的に原油価格は下落していきます。
1876年に1バレル2.56ドルでしたが1892年には0.56ドルにまで下落しています。
しかしここで大きな変化があります。
自動車の一般化です。
1896年に初の大衆車がドイツとアメリカで発売され世界的に石油の需要が高まっていきます。
国際石油資本セブンシスターズ
今日知られているメジャーな石油会社のルーツは1900-1910年の10年間に見ることができます
- 1901年
テキサスのスピンドルトップで石油が発見されテキサコとガルフオイル設立。 - 1907年
ロイヤル・ダッチとシェルが合併しロイヤル・ダッチ・シェルを形成。 - 1908年
中東で油田が発見されアングロ・ペルシャン・オイル・カンパニー(現BP)設立。 - 1911年
スタンダード・オイルが独占禁止法違反で分裂。シェブロン、エクソン、モービル(現エクソンモービル)設立。
これらが有名な国際石油資本セブンシスターズです。
- テキサコ
- ガルフオイル
- ロイヤル・ダッチ・シェル
- BP
- シェブロン
- エクソン
- モービル
の7社です。
1970年代の全盛期はこの7社で世界の原油の石油埋蔵量の85%を支配していました。
WTI
1912年にオクラホマのカッシングで油田が発見され生産センターが置かれました。
その時に出来たウエスト・テキサス・インターミディエイト(WTI)は原油価格指標となっています。
1914 ‐ 1930年:戦争そして世界恐慌
第一次世界大戦は石油の世界的な需要を高めました。
1914年に1バレル0.81ドルだった原油価格を1918年には1.98ドルにまで高騰させています。
大戦後も乗用車の人気により需要は高まり、価格は1バレル当たり3.07ドルまで急上昇しています。
しかし1922年には生産量が安定したことにより1.61ドルまで下落しています。
大手企業は石油の他の用途としてプラスチックの大量生産を始めています。
プラスチックを含めたいくつかの石油製品による需要の増加にもかかわらず、原油価格は国際石油資本間の価格競争と十分な供給量により安定しています。
その間、ベネズエラ(1922年)、イラク(1928年)、ソ連(現ロシア)(1929年と1932‐34年)、東テキサス(1930年)、クエート(1938年)そしてサウジアラビア(1938年)において油田発見が続き、初の海上掘削装置がメキシコ湾で運転を開始しました。
これら油田発見と世界大恐慌が同時期に重なり石油の供給過剰となってしまいました。
その結果1930年に1.19ドルだった価格は1931年には0.65ドルまで下落しています。
1939年:第二次世界大戦
1939年に第二次世界大戦が始まりました。
戦争は原油の大きな需要となっています。
第二次世界大戦を切っ掛けとして各国に石油備蓄の重要性が確認されました。
1950 - 2003年:原油支配権争い
油田国有化
イラン、インドネシア、そしてサウジアラビアは1950年から1960年の間部分的に石油基盤を国営化しました。
エジプトは1956‐57年のスエズ危機の際に世界の5%近くの原油が通行するスエズ運河を支配下に収めます。
しかしそれでも原油市場はアメリカとソ連(現ロシア)が相変わらず強い影響力を持ち二分していました。
1950年代後半、ロシアが安価な石油を市場に放出し始めると、国際石油資本は競争力を保つためにベネズエラとアラブの原油を値下げすることに合意します。
OPEC設立
1960年に、クエート、イラン、イラク、サウジアラビア、そしてベネズエラで、国家間の競争を減らし価格をコントロールすることを目的に、石油輸出国機構(OPEC)を設立しました。
それから20年間OPECは拡大を続け、カタール、インドネシア、リビア、アラブ首長国連邦、アルジェリア、ナイジェリア、エクアドルとガボンが加盟します。
需要と供給の変化
アメリカとソ連(現ロシア)から影響力は徐々にOPECに移行し、1973年第四次中東戦争の際にはOPEC加盟国がイスラエルに加担する国々(とくにアメリカ)への禁輸を決定しました。
それにより原油価格は1972年の平均2.48ドルから1974年の11.58ドル(アメリカのいくつかの地域でははるかに高く)にまで上昇しています。
この時期に北海油田がノルウェーとイギリスの支配下の下で発見されています。
北海油田は1970年代中頃に掘削が始まり、ブレント原油としてWTI原油とともに原油基準価格とされています。
1979‐80年、イラン・イラク戦争により原油価格は急上昇し、36.83ドルに達しました。
その後需要ショックと生産増加により原油価格は急落しています。
特に生産を増やしたのはソ連(現ロシア)で、1988年には世界最大の原油生産国となります。
1990年、イラクはクエートに侵攻しその後湾岸戦争へと続きます。
侵攻前で1バレル14.98ドルでしたが1991年9月には1バレル41.00ドルにまで上昇しました。
その後数年間は価格は上下するものの安定していましたが、ソ連(現ロシア)が1991年に崩壊すると、ソ連の石油産業も追随しその後10年で生産量は半減しました。
世界的需要もアジア金融危機で大幅に落ちこみ、アジア地域の経済の見通しが改善された1999年まで低調推移しています。
2003年 - 現在:シェールオイルによるパワーバランスの変化
2003年のアメリカによるイラク侵攻は石油供給の安定を脅かしました。
その同時期にアジア地域では中国の経済活動活発化により需要が大幅に増加しています。
そのため2000年7月の28.38ドルから2008年7月の146.02ドル超まで上昇させました。
そこから世界的金融危機により価格の下落とリバウンドを繰り返し、2011年のアラブの春で126.28ドルに達し、また供給不足となりました。
近年、技術進歩がアメリカのシェールオイルの生産増加に拍車をかけています。
これはOPECの影響力を弱めアメリカの影響力を強くしただけでなく原油価格の下落をもたらしました。
2014年6月の1バレル114.84ドルから2016年1月には28.47ドル以下にまで下落しています。
この状況に対抗しOPECは複数の国(ロシアを含む)と産量削減を実行。2018年の終わりまでそれを継続しています。
これ以降より原油価格はOPECと国際石油資本だけでなくアメリカの影響も大きくなってきており、原油の生産と価格は複数国複数企業の思惑で大きく変動しています。
将来価格変動は政治的な影響をますます強く受けることとなると予想できます。
参考
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8E%9F%E6%B2%B9%E4%BE%A1%E6%A0%BC
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9F%B3%E6%B2%B9%E8%BC%B8%E5%87%BA%E5%9B%BD%E6%A9%9F%E6%A7%8B
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%BD%E9%9A%9B%E7%9F%B3%E6%B2%B9%E8%B3%87%E6%9C%AC
https://www.ig.com/jp/commodities/oil/history-of-crude-oil-price